History物語

History静内から夢の舞台へ――
飛野牧場HISTORY

北海道・新ひだか町静内真歌。
海沿いの丘を上がっていくと、
霧の中に浮かび上がるように
赤と白のコントラストが美しい厩舎が現れる。

天井にはシャンデリアがきらめき、
まるで海外の牧場を訪れたかのような
静謐な空気が漂っている。
この場所から、多くの夢が羽ばたいていった。
そしてその原点には、
代表・飛野正昭の物語がある。

憧れの人、社台グループの
創始者・吉田善哉氏との対面

せり名簿は、
倍になるまで読め

正昭は6人兄妹の中で、唯一の男児として生まれた。
父は農耕馬と牛を育てながら、町議会議員を10期務め上げた地元の名士。
しかし、正昭は父とはまったく違う道を選んだ――サラブレッドとともに生きる人生だった。
高校時代、すでに馬の血統に魅せられ、授業中に血統書を読んで叱られたこともある。

「なぜ、あの馬たちはあれほど強いのか」
その問いの先にあったのが、社台グループの創始者・吉田善哉氏だった。
憧れの人に会いたい一心で知人に頼み込み、ついに対面を果たす。
高鳴る鼓動を抑えきれず、好みの馬体や血統論を熱弁した。

「せり名簿は、倍になるまで読め」
――ページをめくる指に唾をつけ続けているうちに、紙がふやけて分厚くなる。
それほど読み込めという意味だった。
この出会いをきっかけに、正昭は善哉氏の運転手や同行者として、
何度も海外のセリに足を運ぶことになる。
セクレタリアト、ニジンスキー――伝説の名馬をこの目で見た。
「馬という生き物は、生きる宝石だ」
その言葉通り、彼は世界中の馬を目に焼き付け、血統を体に刻み込んでいった。
もっとも心を打たれたのは「バックパサー」という馬だったという。

22歳で、ついに馬産業の世界に
飛び込んだ。

血統は輪のように世界を巡り、
必ず甦る

そう信じ、未勝利馬でも名血ならば導入をためらわなかった。
馬主からの預かり「仔分け」から始まり、
繁殖牝馬を自己所有するまでに成長するには長い時間と努力が必要だった。
手形が落ちるかどうかに怯えた夜も、
支えてくれる仲間と「血統は裏切らない」という信念があったから、前に進めた。

転機は2012年の秋。
英国から届いた繁殖馬セールのカタログに、一頭の名前が目に留まった。
三冠牝馬ジェンティルドンナの母・ドナブリーニの半妹、リトルブック。
勝ち星こそなかったが、血統背景は申し分ない。
「これしかない」と感じ、株式会社ジェイエスを通じて23万ギニーで落札。
繁殖牝馬として迎え入れた。
しかし、不受胎や流産が続いた。
それでも諦めなかった。2016年、ついに牡馬が誕生。
堂々たる馬体に、「左後一白」の理想的な脚元。正昭は確信した――「この馬は、走る。」

半年後、国内最大のセレクトセール。 この馬を落札したのは、猪熊広次オーナー。
「角居調教師に、最後のダービーを獲らせたい。」その言葉に、正昭の背筋は震えた。

2019年5月。令和最初の日本ダービー。

壊れるほど机を叩いて
叫んでいた

2019年5月。令和最初の日本ダービー。
11万人を超える観衆が見守る中、ロジャーバローズは1枠1番からハナを切り、
ハイペースを制して押し切った。
「壊れるほど机を叩いて叫んでいた」
正昭はその瞬間を、涙とともに振り返る。
静内では胡蝶蘭が姿を消し、苫小牧から緊急配送されるほどの騒ぎとなった。
まさに町が揺れた瞬間だった。

しかし、歓喜からわずか6日後。
ロジャーバローズのフランス・凱旋門賞挑戦が発表されるも、屈腱炎により断念。
そのまま3歳夏で現役を引退。
アロースタッドで種牡馬入りするも、2024年、8歳という若さでこの世を去った。
言葉を失った正昭だが、牧場にはロジャーバローズの全妹たちがいる。

この命をつないでいく。
それが、僕の使命。

母・リトルブックは、
蹄の病気のため本馬の身体への負担を考慮し、
父キズナとの仔を最後に繁殖生活を引退する予定だ。

現在、飛野牧場では
18頭の繁殖牝馬を自己所有し、
正昭の目利きで血統を紡ぎ続けている。
今日もまた、馬に魅せられた人と馬とが、
新しい物語を生み出している。

ここ、静内の地で――。